発達障害の家族と暮らしていると、好きなことへの「のめり込み方」に驚かされることがよくあります。これは「過集中」と呼ばれる、ADHD・ASDの人によく見られる特性です。今日は、わが家で見てきた過集中の姿と、それとどう付き合っているかについて書いてみようと思います。
悔しくてやめられない、次男のピアノ
過集中には、良い面もあります。次男(ASD)がピアノの練習でなかなかうまく弾けず、悔しがっていたときのことです。疲れないうちに切り上げさせようと「今日はこのくらいにして、また明日にしよう」と提案したら、「いやだ、まだやりたい!」と泣きながら訴えてきました。普段の次男は、嫌なことがあるとすぐにやめたい、帰りたいと言うタイプなのに、悔しさが勝って、なかなかやめられなかったんです。好きなこと、極めたいことに対しては、簡単に諦めない粘り強さが出てくるのだと感じました。
子供の没頭は、満たされると自然に終わる
子供がアンパンマンに夢中だった頃、いつも行く図書館の本を全部読んでしまったので、自宅から2時間以内の図書館を片っ端から回り、それでも足りずに閉架書庫のものまで取り寄せて、実在するほぼすべてのアンパンマンの本を読みました。それだけ読み尽くすと、かなりの知識と自信がつくようです。そして不思議なことに、調べ尽くすと満たされるのか、自然とその興味から離れていき、次に気になるものへと熱中先が移っていきました。子供の没頭は、とことんまでやり切ると、ちゃんと満足して終わるんです。
夫の場合-棚の端から端まで、見落とせない
夫(ADHD・ASD併存)の場合は、少し様子が違います。古着に凝っていた時期、古着屋さんに入ると、一番端の棚から隅々まで一枚一枚、余すことなく見ていきます。一軒見終えるのに相当な時間と体力と気力がかかり、終わった頃にはへとへとで「もう嫌だ」と毎回思うそうです。それでもやめられません。なぜなら、見落としが怖いから。もしかしたらいいものがあるかもしれないのに、それに気づけないことが許せないのだそうです。
今は植物に夢中で、図鑑を見るときは最初から最後まで、植物の名前と解説を一つも飛ばさずに読んでいます。道を歩くときは、目に映るすべての植物の名前をぶつぶつ言いながら歩き、言えない植物はほとんどありません。たまに分からないと、その場でなんとか調べるか、知らない家の庭であっても、住人に話しかけて聞いてしまうこともあります。今は植物や園芸の資格の勉強も、隙あらばしています。
だからわが家は「現地解散」
興味のあることに出会うと、家族を置いてでも没頭してしまう夫。だから、たとえ家族旅行でも、わが家は「現地解散」をすることがよくあります。夫の興味を止めることはできないし、付き合えば何時間でも待つ羽目になる。それなら、私も子供もそれぞれ好きなことをして楽しく過ごす方が、みんな幸せだと割り切ることにしました。夫には思う存分、好きなことを味わってもらう。子供たちにも同じで、時間とお金が許す限り、好きなことはとことん掘り下げさせてあげたいと思っています。
子供と大人、何が違うのか
子供のうちは、「そろそろやめようか」と止めてくれる大人がいて、ある程度歯止めがかかります。でも大人になると、夫のように、ずっとやり続けてしまい、それがいつの間にか義務や使命のようになって、苦しくなるところまで行ってしまうことがあります。子供の没頭が自然に満たされて終わっていくのに対して、大人の没頭にはブレーキ役がいない。ここが一番の違いなんだと思います。
自分自身との約束を、あらかじめ決めておく
ブレーキ役がいない大人にとって大事なのは、結局「自分との約束」を先に決めておくことなんだと思います。「ここには行かない」「ここは見ない」、「何時になったら、途中でも気になっていてもやめる」というルールを、のめり込む前に決めておくこと。24時間営業のお店のように「閉店」という強制終了がない場所は特に危険なので、そもそも近寄らないようにする、というのも一つの工夫です。始まってから自分を止めるのは難しくても、始まる前ならルールを決めやすいのだと思います。
まとめ
過集中は、決して悪いものではありません。悔しさをバネにする力にもなるし、とことん調べ尽くす知識と自信にもなります。ただ、大人になるとブレーキ役がいなくなる分、自分自身で先にルールを決めておくことが、しんどくならないための工夫なんだと感じています。
同じように、家族の「のめり込みやすさ」との付き合い方に悩んでいる方に、届けばうれしいです。
うちの凸凹家族、今日もなんとかなってます。


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