うちの次男(ASD・6歳)は、癇癪持ちです。
2〜3歳のころがいちばんひどくて、毎回嵐のような時間を過ごしていました。
あのころに比べたら落ち着いてきたな、と少し安心していたんです。
でも最近、またあのころみたいな激しい癇癪が戻ってきた気がして。
「また始まった」と思うたびに、どっと疲れて。
正直、毎回消耗していました。
「悪魔に憑りつかれてるだけだから」
そんな話を、かかりつけの小児科の先生に相談したときのことです。
先生はひとこと、こう言いました。
「悪魔に憑りつかれてるだけだから」
最初、え?と思いました。
でもすぐに、なるほど、そうかもしれない、と腑に落ちました。
大人だって、我慢に我慢を重ねて、気持ちがついにあふれてしまったとき——
大泣きしたり、やけになったり、自分でも止められなくなることってありますよね。
息子も、きっと同じなんだと思います。
幼稚園で、家で、いろんな場面でずっと我慢して、我慢して、我慢の限界がきたとき。
もう自分ではコントロールできない域を超えてしまったとき。
そのとき「癇癪の悪魔」がやってくる。
本人だって、好きで癇癪を起こしているわけじゃない。
やりたくて泣き叫んでいるわけじゃない。
息子も、癇癪のとき、ものすごくしんどいんだよな。
そう気づいたら、少しだけ気持ちが楽になりました。
癇癪中の対応:寄り添わない、ただ待つ
先生から教わったのは、癇癪が起きているときは、無理に声をかけたり「落ち着いて」と言葉をかけても届かないということ。
悪魔が憑りついている間は、言葉は聞こえないのです。
むしろ刺激になって、火に油を注ぐこともある。
だから癇癪中にできることは、ただひとつ。
安全を確保して、ただそばにいてあげる。
頭をぶつけそうなものをどかして、危なくない場所に移動させたら、あとはそっと見守る。
「早く終わって」と思いながら待つ。それでいい。
最初のころは、なんとかしなきゃ、止めなきゃ、という気持ちでいっぱいでした。
でも、止められないんですよね。嵐は、過ぎ去るのを待つしかない。
それを受け入れてから、少し楽になりました。
癇癪後の対応:「大変だったね」と声をかける
嵐が過ぎたあと、悪魔が去ったあと。
息子はぐったりしていることが多いです。
そのタイミングで、声をかけます。
「大変だったね」
怒らない。責めない。
ただ、大変だったね、と。
本人もやりたくてやっているわけじゃない。
コントロールできなくて、きっと怖かったし、しんどかったと思う。
だから癇癪が終わったあとこそ、寄り添う。
それが、次の癇癪を少しずつ和らげていく近道なのかもしれないと感じています。
行き渋りについても、先生に言われたこと
少し話が広がりますが、息子は幼稚園への行き渋りもあります。
これも悩みのひとつで、先生に相談したら、こんな言葉をもらいました。
「行き渋りは、頑張っている証拠だから」
外の世界で一生懸命頑張っているから、行くのがしんどくなる。
家が安心できる場所だから、行きたくなくなる。
そう聞いて、行き渋りに対する見方がちょっと変わりました。
困った子、じゃなくて、頑張っている子なんだな、と。
まとめ:癇癪は「成長の途中」
あれから少しずつ、変化を感じています。
癇癪の時間が短くなってきたり、
起きる頻度が減ったり、
激しさが少し和らいだり。
息子なりに、少しずつ自分の感情と折り合いをつける練習をしているんだと思います。
悪魔に憑りつかれるのは、我慢してきた証拠。
癇癪は、成長の途中にある嵐。
そう思えるようになったら、嵐の時間も、少しだけ穏やかに受け取れるようになりました。
同じように悩んでいるお父さん、お母さんに、少しでも届けばうれしいです。
うちの凸凹家族、今日もなんとかなってます。

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